「2011年3月11日」の東日本 1/2

今日で東日本大震災が起きた日からもう13年も経つ。1995年の阪神・淡路大震災の国保担当の議員に同行しての慰問、2004年の中越地震取材、そして2007年の中越沖地震取材などを経験してその惨状を記録してきた立場から、理屈は別として行かなければならない気持ちにいてもたってもいられなくなり、3月14日に新潟を出発した。冬の名残で3月の東北の夜は寒いだろうと寝袋やダウンパーカーを積み込み、しばらくぶりの東北に向かった。
目的地は南三陸町。宮城県内を走り、登米市付近だろうか目的地に近づいているとは思いながらも、あたりは既に暗くなっていた。空だけでなく、街灯や家々の灯りもなく、時々車のヘッドライトが見える程度で、どこを走っているかがわからない。距離以上に遠く感じる。自分の車のヘッドライトが照らす範囲でしか風景が見えない。暗闇を懐中電灯で照らし歩いているよりもスピードがあるので左右はおろか道の前方に何があるのかも判別できない。しかも不思議なことにナビが使えない。地震のせいでナビが使えなくなったのかどうかはわからないが、なんとか南三陸の入り口付近だと思われる場所に着いた。
ところが、その先の道路が冠水していてこれ以上は進めない。車の外に出てみると道路の向こうから懐中電灯の光がふたつこちらに向かってきて、「お疲れ様!」という挨拶を残して通り過ぎていった。被災者だろうか、それとも近隣の被害の少ない地域から来た人たちかもしれない。途中まで引き返し、別のルートでクルマを走らせ南三陸に入れたとしても、食事することもできないだろう。今日のところは被災地に入ることを諦めることに。しかし、地震による停電の影響はかなり広範囲で、ガソリンスタンドもコンビニも営業していない。一旦山形県内まで戻り、食事をし寝袋に潜り込んだ。