「2011年3月11日」の東日本 2/2
2025.03.24

翌早朝3時台に起き、陸前高田に向かう。すでに相当の距離を走ったので、ガソリンが心配だ。スタンドはどこも営業していないだろうし、営業していたとしても地元の人たちの給油で在庫は無いと思われる。陸前高田の中心部から七キロほどの343号線まで差し掛かった時に少しずつ被害が見えてきた。気仙川の支流矢作川に津波が遡り、冷蔵庫や軽自動車などが線路に乗り上げたりしていた。
そこから先は被害状況を確認しながらゆっくりと進む。矢作川の河川敷には瓦礫やタンクローリーなどが散乱し、自衛隊の車両が行き来している。これ以上は進めないというところで車を停める。
高田市内に向かって下り坂になっている道路には瓦礫がうず高くつもり道を完全に塞いでいた。川と違って道路ではこのあたりが最前線で、津波が押し寄せ止まった付近は写真のように瓦礫がうず高く積もり、道を作り被災者を探す作業が進められていた。少し薄日がさすこともあるが、3月中旬の東北はまだ寒く雪もちらついていた。
一旦全体を見渡せる場所まで歩き市街地を見渡す。以前の街の姿を知らないながらも、広大な被災地には様々な建物があったのだろうということ、そして地震後の津波による無言の光景が広がっていた。
街中を歩くと、まだ4日目なのに道がつけられ、その道の片隅には毛布をかけられ収容を待つご遺体を確認して歩く被災者の家族と思われる3人以外、一般の人の姿はほとんど見えない。
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