イベント時と災害時の渋滞

柏崎で2度渋滞を経験した。
一度めは2022年12月19日、12月にしては珍しく強い冬型になり、60センチほどの雪が降った。この時期にはまだ雪に対する準備ができていない中で、高速道路が通行止めに。最近の高速道路は事故を嫌がりすぐに通行止めにする。高速道路の通行車両が大量に国道に流れ込んだせいもあり、8号線には大型トラックの立ち往生が各地で発生した。柏崎市内中心部近くの国道8号線は片側1車線なので、大型トラックが道を塞げば、すぐに渋滞が発生する。もちろん脇道がないわけではないので、渋滞を回避しようとした車が脇道も埋める。大型トラックは雪には実に弱い存在だ。この日私は雪の柏崎を撮影しようと、海岸道路を走り、鯨波まで。しかし立ち往生する車が多く、先に進むことを断念、途中で引き返したが、あちこちでスタックする車を回避するうちに国道8号線に出た。判断が間違っていたとは思わなかったが、無計画に高速道路を通行止めにした公団の判断のせいで9時間くらいは渋滞の国道で車の列に拘束されることになってしまい、結局家に帰り着いたのは日を跨いでしまった。柏崎は実に渋滞に弱い。その理由の一つは海と山に囲まれた比較的狭い平野部を高速道路と8号線が並走しているからだと思う。12月の大したことない降雪の状況を考慮しないで勝手に高速道路を通行止めにした公団の判断ミスだった。大きな組織は指揮系統があり、そこに安住していればというような壁を超えるのは難しい。風通しが良い組織だからといっても個々のスタッフの判断では何も決めることができない。誰かが気付いたとしても、組織を動かしているのは今までの経験から導いた理屈であり、突発的な状況に対処できるのは組織全ての人やインフラなどが有機的に自律的に働いていることが必要だと思う。しかしそれは無理だ。
渋滞に弱い柏崎では原子力発電所の再稼働の議論が終盤を迎えている。もともと民主党政権の時に起きた東日本大震災によって限りなく原子力に頼ることを低減することになっていた。しかしながら自民党政権ではなし崩し的に再稼働に突き進むことに。2007年の中越沖地震が起きた日に取材に入った私が発電所から1キロと離れていない場所の住人の方に伺った「発電所が爆発したと思った」と話していたのを忘れられない。大きなブラックボックスでもあり、大きな組織の指揮系統で統制が取れているように見えるプラントは近隣に住む人にとってみれば、自分たちにはコントロールできない空気感に包まれている「なにか得体の知れない」場所だと思う。福島で起きた原子力災害以降そんな不安を払拭するのは無理だろう。科学や統計学に絶対という言葉は存在しない。ましてや人がやっていることに「絶対に安全」ということはあり得ない。一旦事故が起きた時にはセンサーに繋がった計器を見ながら危機的な状況の中で必死にコントロールしようとする現場スタッフの悲痛な表情が見えるようです。「想定外」は人の人知の外側で起きることであって、人知を越える想定外はいくらでも起きうると考えて準備するか、あるいはしないかを決めるのはそこに住む人たちの判断です。原子力災害は半径30キロというような想定では済まないと考えて準備する必要があると考えています。災害は必ずあるという前提の上でどの程度の打算で進むかを許すかどうかという国民の判断に拠るのでしょう。
2025年7月の柏崎の花火大会の時の渋滞にも巻き込まれましたが、この場合はいくら時間がかかっても問題はないでしょう。良い機会なのにイベント時にシミュレーションをしているという話しは聞かない。事前に計画されたイベントに対処していても渋滞が起きるのに、予想していない事態にはそれ以上の渋滞やパニックが起きるし、そこに組織内部や各組織間の調整の遅滞が生じ増幅し、大きな混乱が起きるでしょう。
遡ること14年、東日本大震災が発生した三日後の2011年3月14日北上山地付近の夜、携帯もGPSも効かない真っ暗な道を走っていた時の経験から、いざという時に人間が作ったものは当てにならないものだという思いを深くしました。