「ここどこ?行ってみたい!」

鈴木良一「導かれて」

2025.06.05
私は導かれているのだと思う

子供の頃
それは小学校2年か3年の頃
導かれるかのように
山ふところへと誘われたことがある
両親や村人達は
”神かくし”にあったと
わたしを必死で捜したという
わたしが山から家へ帰り着いた時
口々に”神かくし”から戻った
奇跡が起こったと話しかけてきた
わたしにはそれが何を意味するか理解できなかった
かすり傷は負ってはいたものの
無事に帰ったわたしを喜びあっていたが
その喜びあいようは
尋常ではなかった
わたしには不思議な光景ですらあった

わたしは
現在(いま)は あの出来事を
「山野行」と名付けている
この出来事が、
三日間にも及ぶわたしの行方不明であり
”神かくし”されていた時間だという
この三日という時の経過も
そののち
ことあるごとに 母が
「お前が、三日もの間神かくしされてた時
母さんはどれほど心配したことか」
と、語りわたしに言い続けていたので
そう思い込もうとしているふしがある
なぜなら
わたしが「山野行」と名付け
母たちが”神かくし”と呼ぶ私の失踪は
わたしにとっては
ほんの一瞬の出来事だったという思いが強く
いつもの遊び場所から家に帰り着くまでの
十分にもみたない時間ではなかったかという
思いが強いからだろう

幼少期のいつもと変わらない夕暮れ
かくれんぼして
木の陰でオニを待っている
トキメク一瞬のようにしか
この出来事を思い出せないせいかも知れない
けれど
その瞬時にして垣間見た「山野行」
わたしの幻視したものの体感は
その後のわたしを深く規定し
わたしに迫ってくる
幻影というか
悪夢というか
あるいはここちよいものというか
私を導いて
何処へか向かわせる大きな力を
現在(いま)もわたしにふるっている(と感じられる)
わたしが「山野行」と名付け
母たちが”神かくし”と告げる出来事の
一部始終はともかく
その端緒は
わたしの記憶では
はっきりとした輪郭を持って思い出せる

川はいつもの瀬音を立てていた
山里の陽は 流れるように落ちる
その日わたしは一人だった
陽が落ち始め
川霧が立ち始めた
わたしは家へ帰ろうと
普段ならば 村うちの悪仲間(わるがき)と
三人、四人と連れ立って遊び呆けている
村社の
さらに奥まった場所(ところ)にある
すり鉢状の底の広場から家へと歩き出した
そこは、おとなしい子はめったに近ずかない
なにか秘密めいた場所であり
後年に知ったことだが、ここは
かつては若衆宿という
村落の共同体を確認する小屋が
かけられていたところだという

この日の川霧は 強く 濃く流れ
わたしを襲うかのように感じられた
何かに飲みこまれてゆくかのようにさえ思えた
それでも
遊びなれた草木を手探ぐりしながら
確実に 家への道を進んでいた(つもりだった)
村社の破れかけた裏戸も
側面にビッシリと貼られた絵馬の
かすかに残る原色をもわたしは見ている
いつもと少し違っていたとすれば
すでに陽は
山の端へ落ちている時刻なのに
わたしが日頃、あんな馬に一度乗ってみたいと
気に入っていた一枚の絵馬を見あげると
そこへ一筋の光の束が差しかけており
絵馬の眼が
ひときわなつかしそうに
わたしを見返した(ことぐらいだった)

その時まで
聞こえていた
瀬音が絶え
馬の嘶きが
耳元で聴こえた
と
思うと
わたしは
絵馬とみまごう
白い馬の背に
くわえ あげられ
裸馬の
背で
振り落とされまいと
必死で
立髪をにぎりしめていた
けれど馬は
あばれる様子もなく
ゆっくりと
乳白色の 川霧の中
村社の鳥居をくぐり
村里へ下る
苔むした石段を
蹄を響かせて下り始めていた
わたしは
驚くより 安堵し
すぐ夕食の待つ家へ
帰り着くと
確信した

そして
わたしは
家へ着いた
騒ぎたてる人々の前に居た

わたしの「山野行」として思いだされるのは
これだけである
わたしが 家へ帰り着いた時の
村中の騒ぎは尋常ではなかったが
わたしには
喉の渇きもなかったし
空腹感すら覚えていなかった

いつも
わたしを導くかのように
襲ってくる名状しがたい力とは
この「山野行」の記憶から
乳白色の川霧であり
絵馬にさ差しかかる一束の光であり
それら全体を包む
朽ちてゆくものの意志といったようなもの
こうしている今も
わたしに力をふるっていると感じられる

けれど
これらの出来事を現実にわたしが引き起こし
村中を騒ぎたてさせ
母に人かたならぬ心配をかけるほどの
出来事であったかどうか
わたしには
今も
判然と
しないのである
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photographer

photographer 魚沼市出身。広告写真撮影のかたわら約30余年にわたり新潟県内の風景を撮影、様々な媒体に発表、写真展多数。20代の頃は新潟県を中心に観光PR撮影・スキー(雑誌)取材・山岳写真などに従事。他に演奏会企画·主催など活動は多岐にわたる。 (公益社団法人)日本広告写真家協会会員。

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