「たとえば飛鳥を歩く時、そこには昔を偲ぶ明確な目標になる堂塔というものはない。飛鳥といえば日本の都市文化が形成された最初の発祥の地といわれているが、現代ではそういう形の上での遺産はすべて滅びてしまって、見る影もない廃墟である。けれど、そこに静かに眠っている大和三山の自然のたたずまいを通して昔の飛鳥の盛時を思い浮かべることはできる・・・」これは入江泰吉著「入江泰吉 私の大和路 春秋紀行」(小学館文庫)の冒頭文中の一節です。
私がかつて尾瀬に通っていた頃に知り合った写真家がいた。入江泰吉の弟子をしていたその方に「入江さんは一言で言うとどんな方ですか」と無謀な質問をしたことがあった。2〜3秒くらい間をおいて「余計なものを隠すのがうまい」と。
私が何を言おうとしているかお分かりかと思う。
私が写真を撮るのははたしてノスタルジーなのか。そのような風景を新潟で求めて彷徨い歩いているのか。すでにそこにはないものを求めているのか。その結論がもし出ていたら、私は写真を撮影することはしなくなっているかもしれない。それだけ写真を撮るという行為には終わらない迷いがある。
どうしても写って欲しくないものが入ってしまうことがある時、昔はどうだったかと考える。この風景はおそらく角田山ができた14〜15万年前以降、あるいは佐潟が出来たのが縄文時代以前だとされているが、いずれにしてもここから見る風景はゴルフ練習場以外はあまり変わっていないのかもしれない。
EOS5DMarkⅢ+24mm 1/40秒 f:9
©️photo by Nakamura Osamu