人が営々と築き上げて来たいわゆる田舎の原風景が荒廃する場所に出会うと寂しい。新潟県内でも限界集落だろうと思われる場所が多く、車で走っていて人が住まなくなった地域を時々見るようになった。戦後80年経過し、産業構造が変わり、一次産業の就労人口も減って都会に吸い寄せられ続けた。政府や農林水産省と農業団体の癒着や失政、食料自給率の低下と共に戻れないところまで来てしまっている。さらに昨年から今年にかけての米価高騰は、まさに農林族・省・農業団体の馴れ合いの構図のせい。備蓄米を放出したと言われているのに、農業団体は米価格が下がらないように政府と協調して嘘をつき続けている。いわくどこかの卸業者が価格を釣り上げるために隠しているのだろうと。
脇道に逸れてしまった。
イギリスの湖水地方に行ったことはないが、水辺を擁する丘や小高い山そして広い草原そして延々と続く石垣やポツンと佇む農家などの風景が浮かぶ。この人間くさい風景写真を見返していて湖水地方の風景を連想した。日本では、いや新潟でも人の手が入らない風景は稀だろうと思う。問題は人の手が入っていながらも新潟らしい風景を残す仕組みだと思う。
ピクチャレスクという言葉があり、つい写真を撮影したくなる絵のような風景だ。まさにここからの風景は新潟の原風景でもありイギリスで愛されている湖水地方にも少し似通っているような気がする。農山村などの山懐の風景は人口減少で一層荒廃しつつある。いっそ人がいなくなった中山間地の風景の方がもとの美しさを取り戻すのかもしれない。
EOS5DMarkⅣ 35mm 1/125秒 f:11
©️photo by Nakamura Osamu