「・・・満願寺の稲架木並木は、昭和18(1943)年から20(1945)年にかけて同地区の水田約250ヘクタ-ルを区画整理したときに26軒の関係農家が協力して各地の稲架木をこの農道へ移植したものです。農業の機械化が進み、籾(もみ)の機械乾燥が広く普及して県内各地の稲架場が次々と姿を消していく中で、同地区は種籾採取の指定を受け、良質の種籾を取るために自然乾燥に必要な稲架場として残されました。指定が解除された後も、所有者と農家組合が協力して稲架木の保存に努め、新津の風物詩として今日にいたっています。」・・・以上新潟観光ナビサイトより。
移植したとしても、稲を干すために使用しているので役割通りハザ木と言えます。一方中之口の門田にあるハザ木の並木は同じように道路脇の歩道との間に街路樹のように移植されています。ところどころに街路灯も設置されていて、見る影もありません。既にハザ木の役割もなく手入れもされていないのでハザ木とは言えないのではないでしょうか。
満願寺においては、かつて磐越道の工事を進める際、並木を分断する形で勝手に伐採し工事を進めたらしく、批判を浴びていたのをよく覚えています。風景や文化的歴史的な景観に対する意識が高いか低いかの問題だろう。時と共に新潟らしい風景が失われゆくのは時代の流れだけれど、それを活かした開発のデザインが求められている。
EOS1DsMarkⅡ 90mm 1/50秒 f:9
©️photo by Nakamura Osamu